離婚公正証書の高額な慰謝料を無効にしたい
過去に協議離婚をした者ですが、当時から現在にかけての所得から考えてかなり高額な慰謝料を前妻から請求され、現在も払い続けています。
前妻とは2007年12月3日に結婚し、2009年5月6日に離婚しました。
約1年半の結婚生活の後に離婚をしましたが、同居していたのは約3ヶ月間でした。
以下に結婚から離婚に至る経緯を簡単に説明させていただきます。
結婚をする前、私は高校卒業後に神奈川県の学校に進学し、公務員となって九州にある学校へ入校していました。
前妻は、高校卒業後、声優の養成所を出て、警備会社の社員やフリーター、コールセンターの従業員などをしていました。
前妻と付き合うことになり、その後前妻は何度か九州まで会いに来てくれました。
中学校時代の同級生であった前妻とたまたま再会し、約4ヶ月後に結婚するに至りました。
付き合い始めてから結婚するまでに非常に短い期間しかなかったことについて触れましたが、その短い間にも厄介なことが多々あり、私としては妥協に妥協を重ねた上での結婚でした。
原因は、前妻と付き合い始めてから結婚するまで時間的余裕の少なさと、前妻がどうしても苗字を変えたくないと言い張ったことでした。
当時は、仕事上の都合で結婚するタイミングが非常に難しい時期でした。
そこで、仕事の間隙を狙って入籍だけ済ませ、結婚式や新婚旅行等は将来行うことにしました。
結婚する前に、私は前妻の家族に会っていましたが、前妻はこちらの両親に一度も会わずに結婚しました。
その理由は、私の仕事上の都合で前妻を両親に会わせられる日が限られ、かつ前妻がこちらの両親に会いたがらなかったためでした。
前妻は、「今まで慣れ親しんだ苗字を変えたくない」という理由から、改姓して私の家に嫁ぐことを頑なに拒んでおり、私はそのことをすでに両親に話していました。
私の親からすれば、会ったこともない女が突然やって来て、ただ一人の跡継ぎを持って行かれたようなものですから、両親は非常に怒っていました。
結果的に私の方が改姓したため、私は親から勘当され、姉とも縁を切ることになりました。
これで私は、親も姉も親戚もいない、文字通りの独り身になりました。
前妻は、実父の浮気が原因で両親が離婚していながら、その実父の苗字を名乗っており、そのことも私の両親から見ればマイナスだったのではないかと思います。
今思えば、前妻はあえて私が両親から勘当されるようにして、姑からの圧力を全く受けずに、好きなことをやって楽しく生活できる環境を作ったのだと思います。
結婚した当時、私は九州のとある学校に入校中であり、学校の寮で生活を送っていました。
仕事の関係で、学校を卒業してから約3ヶ月間は、次の任地でも寮生活を続けなければならなかったのですが、とりあえず一度前妻の実家へ足を運び、そこで通帳やカードを前妻に預けて家計を一本化し、これからの結婚生活について色々なことを決めました。
この時点での私の小遣いは1万円/月でした。
学校を卒業してからの初任地は東京でしたが、前妻は毎週末地元の滋賀から東京まで通い、友達や私に会いに来ました。
当時の私の給料から考えて、滋賀から東京までの交通費や宿泊費を賄うのは明らかに苦しかったのですが、前妻は私の貯金から費用を出していると言っていました(後に、費用は全て私の給料から出し、かつ断りもなく借金までしていたことが発覚)。
約3ヶ月間の東京での生活の後、埼玉に転勤になったのですが、この頃には、実家で暮らしていた前妻の生活が苦しいという理由から、私の小遣いは0円/月になっていました。
埼玉に転勤してから間もなく、寮を出て自分で部屋を探さなければならなくなったのですが、お金も時間も無い私は、当然のことながらアパートを探すこともできず、前妻が全てを勝手に決めてしまいました。
私の仕事は、急を要することも多く、規則上職場から30分圏内に住まなければならないと定められていたのですが、前妻が借りた部屋は、徒歩と電車と自転車を合わせて職場から1時間以上もかかる場所にある5階建アパートの5階(エレベータ無し)でした。
第1条件として、職場からの近さを優先して欲しいとお願いしていた結果がこれでした。
部屋の間取りは3DKでしたが、その内の1室には部屋いっぱいに前妻の服やアクセサリーなどが置かれており、生活費の全てを私が負担していたにも関わらず私が立入ることは許されていませんでした。
こうして前妻との共同生活が始まりましたが、元々朝早くから夜遅くまで仕事をしなくてはならない上に、通勤と帰宅にそれぞれ1時間以上がかかるため、始発で出勤し終電で帰宅するような生活を余儀なくされ、私の生活は一方的に苦しくなって行きました。
朝5時頃に起床し、家に帰って来るのは24時頃という生活が約3ヶ月間続きました。
休日もほとんど毎週出勤し、なかなか体の休まる時がありませんでした。
夜遅くに帰り、どうしてもすぐに横になりたいという時にも、入浴していないという理由からベッドに入れてもらえず、床の上で寝て翌朝すぐに出勤という日が何日もありました。
一方前妻は、私が出勤するとすぐに二度寝し、昼前くらいに起きて仕事もせずにのんびり過ごすという生活を送っていたようです。
家事についても、まともにやってくれたのは最初の約2ヶ月間だけでした(この間も、食器洗いと掃除は私の担当)。
結婚する以前は、口約束ではあるものの前妻は働くと言っていましたが、それも嘘でした。
また、私が家に帰ると、知らない男が部屋から出て行ったり、私の同期の男が部屋で前妻と一緒にゲームをしていたりということもありました。
一緒に暮らした最後の約1ヶ月間は、朝の二度寝や昼のだらけた生活にとどまらず、夜には友達と遊び回ったりして、深夜に私が仕事から帰っても前妻は帰宅すらしておらず、当然食事も用意されていないという日が週に3、4日はありました。
前妻は、生活が苦しいと言いながら、私の給料を全て消化し、コンビニを多用したり、遊び回ったりしていました。
子供を作る気も無い上に(妊娠しないように、ピルを服用)、夜遅くまで遊び回っているだけなら、仕事をして家計を助けて欲しいと頼んでも、前妻は絶対に働こうとしませんでした。
苦しい生活と精神的負担によってどんどん痩せて行く私とは対照的に、前妻はどんどん太り、ピーク時の体重は90`を超えていました。
このような生活が約3ヶ月間続き、2008年6月末2009年3月まで私は茨城県のとある職種学校に9ヶ月間入校することになりました。
この入校間は1日3食が支給されましたが、当然ながら生活に必要なものが全て学校から支給されるわけではありませんでした。
給料は全て前妻が握り、小遣いが0円/月だった私は、ちょっとした日用品すら買えず、数百円程度の小額の集金すら滞納せざるを得ず、実質的にも心理的にも非常に苦しい生活を送ることになりました。
お金が無いという理由から、同期が全員参加するような懇親会にも私だけは参加できず、同期との溝は深まるばかりでした。
約1週間の夏季休暇直前に、前妻から「家に帰るための交通費は出さない」と言われ、私は学校に残らざるを得なくなったこともあります。
すでに食事の申請が締め切られた段階での出来事だったので、1週間をほとんど飲まず食わずで過ごすことになりました。
当時74kgほどあった体重は夏季休暇の1週間だけで64kgくらいにまで落ち、完全に体力の衰えた私は、教育訓練で取り残され、成績が悪化しました。
まともに食事を摂れなかった反動から通常より多くの食事を摂るようになったにも関らず、体重も体力も全く回復しなくなり、頭も全然働かなくなりました。
秋から冬にかけては非常に寒い中で夜間に教育訓練が行われる日がありましたが、職場から支給された装備が寒冷地仕様にはなっていない場合(職場の地理的な位置によって装備が寒冷地仕様か否かが決まるのですが、私は一般の装備でした)、通常は私物の防寒服等で寒さを凌ぐのですが、私にはそんなものを買う余裕はなく、訓練は寒さとの戦いでもありました。
学校の年末年始休暇は1週間弱ありましたが、家に帰る交通費はもらえたものの、この間私はずっと自宅におり、前妻は外へ遊びに出掛けて家にいませんでした。
生活費を渡されていなかったため、私は家の中にある食糧を探し、何とか食いつなぎました。
この頃には、夫婦間での生活水準の差が歴然としていました。
私が職種学校を卒業してから間もなく、前妻と離婚について話し合いました。
双方に離婚の意思がありましたが、その理由は両者でかなり違っていました。
私は「結婚生活が破綻している(結婚してからの別居期間が同居期間よりも圧倒的に長い、夫婦間の待遇の差があり過ぎる)から離婚したい」と思っていましたが、前妻は「思っていたよりも生活が苦しい(つまり私の収入が少ない)から離婚したい」と思っていたようです。
前妻から直接そういう言われたわけではありませんが、思い当たる節があります。
分かりやすい例として、まだ離婚話が出ていなかった職種学校の卒業直前に、「借金返済」を理由に私の共済貯金を前妻に全部取られたことが挙げられます。
金額は114万円程度しかありませんでしたが、何かがあった時のために取っておいたお金でした。
このお金に関しては、私は妻に対して一言も「あげる」とは言っていませんが、離婚後に前妻に「返してくれ」と言うと「そんなものは知らない」と白を切られました。
離婚の話し合いをし、別居を始めてからの2ヶ月間は、給料の半分を前妻に取られていました。
前妻の言い分は、「無職で生活費が無いから」というものでしたが、ずっと家計を握り、私が結婚以前から貯めて来た全てのお金も手に入れていた前妻が、わずかな貯金すらなく当面の生活費に困っていたとは考えられません。
逆に、新たに職場から徒歩圏内にワンルームの部屋を借りて新生活を始めた私の方が、明らかに生活に困っていました。
離婚した当時は春先でまだ寒い日も多かったのですが、新しい部屋には布団も暖房器具も調理道具も無く、当然ながらそれらを揃えるためのお金すら私の手元にはありませんでした。
給料の半分(手取り額で月10万円程度でしょうか…)で生活せざるを得なかったので、家賃、水道光熱費、携帯代等を除くと十分な食費が残りませんでした。
また、冒頭にも書きましたが、前妻から現在進行形で慰謝料を取られており、将来的な支払を含めると総額は1,440万円に上ります。
当時は、生活が苦しかった上に慰謝料の相場や民法に関する知識が非常に乏しかったため、よく理解せずに公正証書の作成に同意しましたが、それが大きな誤りでした。
公正証書作成の最終段階で、前妻の要求により作成された公正証書の内容を公証人が読み上げた際に、私がある箇所について意見を言おうとしたのを前妻が少し慌てた様子で制止したことがあったのですが、前妻のその言動は確実に私から金を取ろうという強い意志の表れだったように思います。
離婚が成立し、1,440万円の支払い義務は負ったものの、現在は何とか生活を立て直すことができました。
今年の夏に別の人と再婚し、新たな生活を始めましたが、慰謝料の金額があまりに多く、将来的に家族を養って行く上で大きな障害となっています。
借金の肩代わりで支払った114万円も含め、現在までにすでに234万円も前妻に支払っていますが、一般的な慰謝料の金額から考えれば十分な金額であるように思います。
これ以上の慰謝料の支払いを止め、借金の肩代わりで支払った114万円を取り戻したいのですが、何か良い方法はないでしょうか。
相談に乗っていただければ幸いです。
【ご返答】
こんにちは、大変でしたね。
しかし公正証書を作ったということは、公証人の前で公正証書の内容を認めて作成したのですよね。
そうなると、この公正証書を覆すのは難しいかもしれません。
どちらにしても家庭裁判所の調停を申し立てることになると思います。
調停で慰謝料の根拠やご自身の給料と比べて高額過ぎること、作成した当時のご自身の精神状態などを話し合ってみてはどうでしょうか。
事情を話せば調停員も味方をしてくれるかもしれません。
どちらにしても調停は話し合いですので、あまり構えずに臨めばよいと思いますよ。
まずは、前の奥さんの所在地の管轄の家庭裁判所に相談に行ってみてください。
相談コーナーなどがあると思いますから、教えてくれると思いますよ。
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